プレイデータ信長の野望-革新

チャレンジモード – 熊野詣

今回プレーするのは信濃の深志城を拠点とする真田家が鈴木家配下の熊野港奪取を目指すチャレンジモードだ。いかんせん深志から熊野までの距離があるので、★二つとは思えないくらい色々と難儀なシナリオだった。戦術としてはおおざっぱに陸路から攻める方法と海路から攻める2つの方法があるが、後者の海路でプレーしてみた。

開始年
  • 1557年3月
クリア条件
  • 1560年2月が終わるまでに熊野港を支配下に置く。
大名家
  • 真田家 当主:真田昌幸
勢力情報
  • 金銭 : 7,960 (収支 +1,500 / -500)
  • 兵糧 : 34,830 (収入 +4,800)
  • 同盟 : 武田家 (120ヶ月)
  • 技術 : 足軽学舎 / 騎馬学舎 / 牧場 / 弓学舎 / 軽弓 / 築城学舎 / 御殿

海路から一気に熊野港を叩く方針に決定

熊野港に侵攻するルートとして海路と陸路があるが、陸路の場合いくつかの本城を落とさなければならないため、攻略に時間を要する(戦闘そのものと傷兵の回復等に時間を要する)。ただでなくとも深志から熊野までは遠く、且つ猶予期間が3年しかないことから、「道を切り開く」作業に時間をかけすぎるわけにはいかない。そこで戦闘の回数が少ないルートである海路を選ぶことにした。

ただ、海路にもそれなりに問題がある。それは真田家が水軍技術を持っていないため、小早で港を攻めなければならないという点だ。小早は防御力が貧弱であるため、相手を削る前にこっちが削られてしまうという欠点がある。ただ幸いにも真田家は弓学舎を持っているので、この系統を伸ばして攻撃力を上げることで、欠点をカバーすることにする。

さて、技術獲得や兵糧の確保など色々やることがあるので、最初の2年間は内政と技術研究に専念し、残りの1年をかけて熊野までの侵攻作戦を実行するという方針でゲームを進めていく。

まずは割符の交渉と市の建設

今回は兵糧の安定確保が絶対に必要となるため、ゲーム開始直後に武田家に使いを送り、割符の技術を伝授してもらうように交渉しよう。軽弓か御殿を要求されるだろうが、ここは快く了解して教えてもらうこと。

他のメンバーは武家町と市の建設を行う。金山が未発見状態なので探索をかけたいところだが、金山より先に武将が見つかる可能性が高い。マンパワー確保のためにこれらの武将をガンガン登用していきたいため、金銭収入の圧迫を避けるため、夏の収穫期を過ぎるまでは探索を控えることにする。夏が来るまでにできるだけ多くの市を建設するようにしよう。

また兵士の確保も必要なので、市の建設と併せて兵舎も建設しておく(夏までに4つの兵舎を建設した)。

今回は長距離の行軍は避けられないため兵糧の確保が重要。効率的に兵糧を確保するため、割符を修得(交渉で)しよう。
今回は長距離の行軍は避けられないため兵糧の確保が重要。効率的に兵糧を確保するため、割符を修得(交渉で)しよう。

人材確保を進めて城下建設をスピードアップ

夏の収穫期を迎えたら探索を開始して未発見武将を積極的に登用していこう。武将が増えると金銭収入が圧迫されるものの、技術研究のための弓学舎建設等にマンパワーが必要となるため、デフォルトの人数では足りない。最初の2年で戦闘準備を整えるためにも全体で15〜16名くらいの武将が必要になる。登用したらバンバン施設建設を命じよう。

登用時に最も気になるのが他家からの引抜だ。せっかく登用しても引き抜かれてしまっては探索にかけたコストが無駄になってしまうことから、城下の畑と水田を破棄して忍の里を建設しておく。まあ3つも建設しておけば、完璧とは言えないまでもそれなりに引抜を防ぐことができるだろう。

信濃は未発見武将が多いため、探索すると多くの武将を発見できる。序盤の探索で武将ではなく金山を見つけられれば、その後の展開が非常に楽になるはずだ。
信濃は未発見武将が多いため、探索すると多くの武将を発見できる。序盤の探索で武将ではなく金山を見つけられれば、その後の展開が非常に楽になるはずだ。

海路侵攻のキーマン「小笠原貞慶」を登用

熊野港を海路から攻める際の各部隊の攻撃手段は弓だ。弓攻撃しかできないのに騎馬で出陣していては戦法を発動できないため、必然的に編成の兵科は弓隊となる。

真田家には弓の戦法に秀でた武将がいないため、威力の高い戦法を修得した武将が必要になる。それが探索によって発見できる小笠原貞慶だ。全体的な能力のパラメータはぱっとしないが、弓戦法「連射」を修得しており存分に活躍してくれそうだ。彼を引き抜かれてしまっては海路侵攻が危うくなるため、たっぷりと加増して忠誠心を上げておこう。

この頃になると武将の数もそれなりに増えているので、奉行所を建設して内政の高い武将を奉行にあてがっておこう。特産品の硫黄はのちに諸勢力と協定したり、武田家に要請したりする際に条件として使用できる。

海路侵攻では全部隊の兵科を弓で統一することから、弓戦法を熟知している小笠原貞慶が今回のキーマンになる。登用後は絶対に引抜かれないようにしよう。
海路侵攻では全部隊の兵科を弓で統一することから、弓戦法を熟知している小笠原貞慶が今回のキーマンになる。登用後は絶対に引抜かれないようにしよう。

技術研究を進めて「速射法」を修得

前述の通り、海路からの侵攻では弓隊の攻撃力が作戦の成否に関わってくる(小早は防御力が弱いので、自分たちの兵力が削られる前にいかに相手を削るかがキーになる)。そこでせっかく弓学舎を活かして「遠矢」「強弓」「速射法」を取得することにする。同盟相手の武田家から交渉でもらうことができないため、これら3つは自分たちで研究するしかないが、時間的に厳しいため1557年12月くらいから研究に着手しよう。特産品の備蓄が増えたら一向宗と協定して技術研究の期間が短くなるようすると吉だ。

また港を攻略する時には騎馬隊で侵攻するため、遠矢の技術研究が終わったらその技術と引き換えに蹄鉄の技術を武田家から伝授してもらうようにしよう。昌幸を使者に立てれば了解してくれるはずだ。

弓隊の攻撃間隔は若干長いため、闘志が溜まりにくい。戦法をバンバン発動させるためにも速射法は事前に修得しておいたほうがよいだろう。
弓隊の攻撃間隔は若干長いため、闘志が溜まりにくい。戦法をバンバン発動させるためにも速射法は事前に修得しておいたほうがよいだろう。

下田港経由で熊野港を攻めるルートに決定。いざ出陣!!

ゲーム開始から2年間と想定していた内政期間が終了し、1559年3月時点で兵数25,000、兵糧80,000、技術は速射法までの修得が完了した。満を持しての出陣ということで近場で且つ最も手薄な下田港をターゲットとして侵攻を開始する。徳川家の浜松港という候補もあるが、国人衆の真横を通らなければいけないことと、統率100越えの家康や忠勝と戦いたくないため下田を選択した。

騎馬隊7,000を3部隊編成し、守備兵として城には4,000を残すことにする。もし留守中に侵攻を受けたときは武田に要請することで凌ごう。要請の使者として、武田と相性がよくて政治の高い信幸を城に残しておく。

出陣した部隊が下田港に近づくと早速徳川と上杉が深志城へ侵攻してきた。急いで武田に信幸を送って援軍を要請する。金か特産品を要求されるかと思ったが、ここはなんと無料で受諾してくた。サンクス。

下田港攻略部隊が本城から遠く離れた頃合いに合わせて、上杉家と徳川家のタレント武将が深志城へ出陣。忠勝、家康、景勝・・・ いずれも統率100越えだ・・・
下田港攻略部隊が本城から遠く離れた頃合いに合わせて、上杉家と徳川家のタレント武将が深志城へ出陣。忠勝、家康、景勝・・・ いずれも統率100越えだ・・・

下田港攻略戦

武田家への要請も成功し、防衛戦の準備は整ったが、敵軍が深志城に到着するまでにはまだ間がある。この時間を使って上杉と徳川の両家に停戦を求める使者を送り続けた。さずがにタレント武将を率いた両雄を同時に相手にするのは避けたいので・・・。

すると上杉家からは「硫黄で手打ち」の提案があったのでそのまま受諾。徳川家が深志に到着するまでにはまだ時間があるので、待機武将全員で停戦要求を行う。

そうこうしている間に下田港攻略部隊は戦闘を開始。徳川家の浜松港を目指して侵攻していた北条家の弓隊が下田に寄港し守備兵力が増えたうえに、徳川家と協定している国人衆までが下田港周辺にワープで登場し、余裕と思っていた戦況が一気に悪化していく。それでも知略の低い国人衆相手に昌幸の計略戦法が成功すると港も一緒に沈黙するため、鼓舞と混乱を繰り返すことで下田港を陥落させることができた。

武田家の援軍があるとはいえ、上杉と徳川を一気に相手にするのはキツイので両家に停戦の使者を送り続けたところ、上杉家が硫黄で手打ちをしてくれた。
武田家の援軍があるとはいえ、上杉と徳川を一気に相手にするのはキツイので両家に停戦の使者を送り続けたところ、上杉家が硫黄で手打ちをしてくれた。

盟友武田家と共に守備に徹する

下田港を陥落させた時点で1559年7月下旬になっておりタイムリミットまであと僅か。傷兵の回復を少しでも早めるため、昌幸や幸隆らで湯治場を建設する。そうこうしている間に徳川家が深志城に急接近。なんども停戦の使者を送っているものの一向に応じる気配がなく、結局合意できずに徳川軍と戦闘開始。武田の騎馬隊を前衛にして信幸の弓隊3,000(城に1,000の守備兵)で攻撃を開始。速射法を修得しておいたおかげで家康隊の兵力がサクサクと削れていく(弓隊というよりも勝頼が前衛にいるのが大きいが・・・)。

結局徳川家は家康部隊が壊滅した段階で退却を開始し、ワープで現れた国人衆部隊も撤退していった。これでなんとか防衛戦は片づいた。一方の下田港だが、1559年9月に傷兵の回復が完了。いよいよ天王山の本決戦にかかる。

下田港攻略が終わったら次は徳川との防衛戦。家康と忠勝という統率100越えのタレント武将が出陣しているため予断を許さない。
下田港攻略が終わったら次は徳川との防衛戦。家康と忠勝という統率100越えのタレント武将が出陣しているため予断を許さない。

いよいよ熊野港侵攻開始!

鈴木家が木津水軍と協定しているため、このまま攻めるとイカツイ水軍の皆さんにボコボコにされてしまう。そこで下田港からの弓隊出陣に合わせて、待機武将全員に協定締結の使者を命じる(恐らく信幸だけで事足りると思うが、万が一断られる可能性もあるため全員に使者を命じる)。

ちなみに下田港からの出陣部隊は下記の通り。

  • 弓隊 7,500 − 真田昌幸 / 保科正俊 / 木曽義在 [統102 / 武88 / 知98] 戦法 – 斉射 / 鼓舞 / 混乱
  • 弓隊 8,208 − 真田幸隆 / 河尻秀隆 / 小笠原貞慶 [統84 / 武81 / 知99] 戦法 – 鼓舞 / 火矢 / 連射
  • 弓隊 7,500 − 真田幸村 / 矢沢頼康 / 徳山則秀 [統105 / 武100 / 知89] 戦法 – 斉射 / 鼓舞 / 罵声

標的を陥落させるも、ちょっと凡ミスあり

この記事を書きながら気付いたが、弓戦法の威力を活かすためには武力の高い幸村隊に小笠原を組み入れるべきだった。失敗、失敗。。。。やっぱり飲酒しながらのプレーはよくないね (笑

編成をミスってしまったものの、連射の戦法威力はすさまじく一撃で1,500くらいの城兵を削り取っていく(もちろん城壁を突破した後)。幸隆の部隊は結局壊滅してしまったが、残りの部隊によって熊野港を占拠することができた。相当準備に時間をかけたわりには危なっかしい感じでクリアとなった。素直に騎馬で陸路から攻めた方がよかったかも・・・・

熊野港での最終決戦。下田港からは片道60日もかかるため士気の低下が激しい。
熊野港での最終決戦。下田港からは片道60日もかかるため士気の低下が激しい。

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